星が降り伝う
思春期の頃なんかは教室の隅っこでクダらねぇ授業を聞きながらいつも考えていた。生きる事の意味。死ぬ事の答え。いつも頭ん中で小さな脳ミソ目一杯働かせて考えていた。だけどね。グルグルグルグル廻るだけでよ。意味も答えもわかりゃしねぇ。
偉大なミュージシャンの追悼式なんかを見てると凄いな。羨ましいなって思う。彼等は星になっちまってもなおおぃら達に沢山のモノをくれる。死んじまっても彼等の歌は消えねぇ。おぃらが死んじまったらいったいどれだけの人が心から悲しんでくれるだろうか。いったいどれだけの人が忘れねぇでいてくれるだろうか。そんな事を考えると恐くてたまらなくなっちまうよ。
先日、大分県に住むばあちゃんの家に行った。去年亡くなっちまったじいちゃんの一周忌だ。肺ガンで亡くなったおぃらのじいちゃん。おぃらにはあまりじいちゃんとの思い出もない。どんな声だったか。どんな顔だったか。うまく思いだせねぇ。じいちゃんはどんな人間でよ。どんな事が好きでよ。どんな生き方をしたのか。何も解らねぇ。だけどね。一周忌に集まった沢山の人達を見てね。じいちゃんは沢山の人に愛されていたんだなってね。よく解ったよ。誇りに思えた。1年たってもこんなにも沢山の人がじいちゃんの為に集まってくれてんだ。凄いよ。
一周忌で久しぶりに会ったばあちゃんはおぃらに「こんな遠くまで来てくれてありがとう」と弱弱しい声で言った。
じいちゃんとばあちゃんは50年も2人で一緒に生活してきた。50年なんて生きてもねぇおぃらにはそれがどれくらいの長さなのかなんて解らねぇよ。でもね。きっとじいちゃんとばあちゃんは2人で1つだったんだと思う。
去年の葬式の前の夜。真夜中に目が覚めた時。ばあちゃんがじいちゃんの棺の前で泣いているのを見た。胸が苦しくなった。こんな時、なんて声をかけていいのかさえおぃらには解らなかった。ただね。その光景を寝たふりしながら見守ってる事しかおぃらにはできなかった。
朝になり火葬場に行った。まるで子供のような安らかな顔をしたじいちゃん。肌はとても冷たくておぃらは棺桶の中に花を添えた。
ばあちゃんは泣きながらじいちゃんの顔をずっと撫でていた。
「なんで置いて去くの」
「なんで置いて去くの」
「なんで独りにするの」
ばあちゃんはずっと泣き叫んでじいちゃんを離そうとはしなかった。
皆がばあちゃんを引っ張って宥めてたけどばあちゃんは泣きながら倒れ込んじまって火の中へと入っていったじいちゃんの名前をいつまでも叫んでいた。
「じいちゃん」
「じいちゃん」
「じいちゃん」
静かな火葬場の中にはばあちゃんの悲痛な声だけが響き渡っていた。おぃらは思わず泣きそうになっちまったけど泣かなかったよ。
葬式中もばあちゃんは今にも倒れそうだった。なのにね。必死で笑ってた。必死で歩き出そうとしてたよ。
ばあちゃんに会う度にあの時の光景が蘇ってくる。たぶんおぃらは一生忘れねぇと思う。それくらい感動したんだ。愛を感じた。真実の愛を感じたんだ。
あれから1年たった今もばあちゃんはいつもじいちゃんを想っている。ばあちゃんの家をよく見ると布団も茶碗もお箸もハブラシも全部が2つずつ揃えられていた。まるでね。じいちゃんが生きているような。じいちゃんが生きていた頃とね。何も変わってないんよ。じいちゃんは確かに死んじまった。星になっちまった。おぃらがじいちゃんに会う事はもぅないよ。だけどね。ばあちゃんの中では生きてるんだね。いつも一緒なんだね。永遠の愛はあるんだね。
「死にたい」と誰よりも願っていたはずのおぃらを置いてどいつもこいつも亡くなっちまう。
人がね。どうして死んじまうのか。そんな事どれだけ考えてもね。答えなんか解らねぇよ。それが当たり前であってそれが人間だという事は解るよ。
「おぃらを独りにしないで」
「おぃらを独りにしないで」
残されるのは本当に恐い。死ぬ事よりも恐いのは失う事。おぃらはね。それが何よりも恐いよ。だけどね。おぃらを残して死んじまった奴等はおぃらに教えてくれる。永遠の愛はあるよ。真実の愛はあるよ。死んじまってもね。こんなおぃらを助けてくれる。畜生。
おぃらは永遠を求めている。永遠の愛を。永遠っていったいどれくらいの時間なのかな?死んじまったらそれで終わりなのかな?少なくともじいちゃんとばあちゃんの間におぃらは何があっても消える事のねぇ究極の愛を感じたよ。
永遠はあるのかなって少し思う事ができたんだ。ありがとうな。じいちゃん。ばあちゃん。
おぃらも唄うよ。おぃらが消えてなくなっちまってもね。おぃらの音は消えないように。
ジングルベル。
ジングルベル。
鈴が鳴る。
今日のお薦めBGM=徳永英明「壊れかけのradio」